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ご隠居噺し。徳川家康 5 明智光秀の謎

おーい定吉や。ああいたか。そうかそうか。
今日はな、家康公の最大のピンチだった、伊賀越えの
話なんだが、これがそのちょいと複雑でな、何回にわけて
話をしようと思うんだ。
この話は、信長、明智光秀、伊賀忍者、細川藤孝という人たちが出てくるんだ。
なんだって覚えられない?まあまあ順を追って話すから。
伊賀越えというのは、本能寺の変、ああそうだ信長公が、
明智光秀に討たれたことだったな。それでな、家康公はその時
三河にはおらず、信長公のすすめで京、大坂などを周遊していたんだ。
信長公が討たれた時、家康公は堺にいたんだ。
伊賀越えというのは、堺から三河に帰るため伊賀を通って帰った
ということなんだ。
なんでそんなことがピンチだって?
いやいや話を聞きなさい。
まずな、話はさかのぼるんだが、伊賀というところは、
定吉も知っている通り、忍者の里だな。
甲賀は隣なんだが、小説や講談なんかでは仲が悪いというイメージがあるな。
実際にはお互い助け合っていたらしい。
この伊賀忍者は大名に支配されず、信長公の支配を受け付けなかったんだ。
それで信長公、伊賀を徹底的にやっつけたんだ。
伊賀忍者は各地に逃げていったんだな。
三河にも逃げてきたんだが、家康公は手厚く保護をしたんだ。
これが後の話に関係してくるんだ。
さてこの話の続きはまたにしよう。


服部半蔵が家康の緊急時の脱出ロードである甲州街道に作った、
屋敷です。この門が半蔵門です。
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by caymmi1 | 2007-07-27 00:44 | 歴史  

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