ブラジル通史 14 エスタド ノヴォ「新国家」政策

久しぶりにブラジル通史のUPです。
さて前回はヴァルガス大統領が政権を取ったところまで、
書きました。
今回はもっと踏み込んだ記事をUPします。
ヴァルガスは1937〜1954年まで、都合三期大統領をつとめました。
彼はクーデターで政権を奪取したということは前回も書きました。
彼の政治的スローガンは「エスタド ノヴォ」といい、
日本語に訳すと「新国家」ということになります。
19世紀からブラジルは、コーヒー生産のために、
主にヨーロッパから大量の移民を受け入れます。
そのためブラジルは白人の割合が増えてしまいました。
ヴァルガスはブラジル国民という意識を持たせるため、

1 ナショナリズムの高揚
 (それまで沢山の州の旗があったがそれを禁止。黄緑旗という現在の国旗しか認め    ず。)
2 移民の同化政策
 (例えば日本語学校の閉鎖、日本語新聞の停止など)
3 労働者への福祉の重視
 (週48時間制、有給休暇の整備、最低賃金制、出産手当の支給)
4 文化政策
 (サンバなどブラジル固有の音楽や文学、フッチボールの振興)

以上の政策を打ち出し、それを「新国家」という工業化政策をこのスローガン
とともに押し進めます。
また外交では

1 親米(連合国側)
 (米国の資本導入)
2 反枢軸国外交
 (ドイツ、イタリア、日本に対し断交、1942年ドイツ、イタリア、1945年日本に
  対し宣戦布告。また1942年にイタリアに出兵)

以上が1945年までの彼の政策ですが、この時期日本、ドイツ、イタリア移民
には大変な時代でした。特に日本人移民に対しては当時、インテリ層に、
「横堝論」が流行っていたこともあり、大変にきびしく、
日本敗戦後、いわゆる「勝ち組 負け組」抗争で、日本人移民の中でも
分裂を引き起こしてしまいました。
大戦後、ヴァルガスは大統領を辞め、下野します。
次回に続きます。




最初の日本人移民を運んだ笠戸丸

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by caymmi1 | 2007-03-20 11:57 | 歴史 | Comments(2)
Commented by クリントン at 2007-03-20 18:14 x
沖縄にいた時に、ブラジルとアルセンチンに移住してしいた、二世の方達
と交流がありました。
皆さんクォーターも方々でした。
日本人移民の待遇は想像を絶する悲惨さがあったそうです。
Commented by caymmi1 at 2007-03-20 19:07
ほんとに命を落とされた方も沢山いらっしゃったとのことです。
僕には想像もつきません。日本人として忘れてはいけないと思います。
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