クララ・ヌネスについて
2007年 02月 07日
1982年クララ・ヌネス(Clra Nunes)はノッソ・サンバというコンジュントとともに
来日しました。仙台には9月に宮城県民会館にてコンサートがあり、それは当時仙台で、
サンバやボサノヴァなどを紹介していたあるBAR(当時は喫茶店)の主人に薦められ
チケットを買ったのでした。当時は僕はかろうじてガル・コスタやベッチ・カルバーリョ
を聴いていただけでした。もちろんインターネットなどはなく、情報はわずかに雑誌と
ラジオのみでしたが、クララに関する情報などはわずかでした。
コンサート当日、僕は仕事が忙しく少し遅れて行きました。
クララのステージは強烈でした。ステージで彼女はなんと裸足だったのです。
これまで聴いた事もないようなうねるような打楽器のリズムのなか、
彼女の歌は強靭でまっすぐに僕の身体にひびいてきました。
僕は座ることも忘れ、そのまま立って聴いていたことを覚えています。
「褐色のサンバ」「ポルテーラ・ナ・アヴェニーダ」は名唱だと思います。
この時、彼女のご主人のパウロ・セザル・ピニェイロさんも来ていたのですが、
この当時は良く存じ上げませんでした。
ノッソ・サンバの面々はとても気さくで、初めてみるスルドやパンデイロの使い方
を親切に教えてもらったりしました。
このコンサートの後、クララがなぜあの衣装だったのか、とか「三つの民族の歌」
とはどういうことかなどの疑問がわき、調べたり人に聞いたりしているうちに
すっかりサンバにハマって行きました。
来日してすぐあとクララは「ナサォン」の入ったアルバムを発表します。
それがラストアルバムになりました。クララは1983年手術中に麻酔の事故で
この世を去りました。享年38才でした。
とにかくクララのコンサートを聴かなければ、こんなにサンバにのめり込むことも
なかったでしょう。
で、このラストアルバムの「ナサォン」がいたく気に入り
ジョアン・ボスコとアルジール・ブランキという名前を知ることになりました。
2003年にブラジルで出たベスト盤です。褐色のサンバ、ポルテーラ・ナ・アヴェニーダを収録。

来日しました。仙台には9月に宮城県民会館にてコンサートがあり、それは当時仙台で、
サンバやボサノヴァなどを紹介していたあるBAR(当時は喫茶店)の主人に薦められ
チケットを買ったのでした。当時は僕はかろうじてガル・コスタやベッチ・カルバーリョ
を聴いていただけでした。もちろんインターネットなどはなく、情報はわずかに雑誌と
ラジオのみでしたが、クララに関する情報などはわずかでした。
コンサート当日、僕は仕事が忙しく少し遅れて行きました。
クララのステージは強烈でした。ステージで彼女はなんと裸足だったのです。
これまで聴いた事もないようなうねるような打楽器のリズムのなか、
彼女の歌は強靭でまっすぐに僕の身体にひびいてきました。
僕は座ることも忘れ、そのまま立って聴いていたことを覚えています。
「褐色のサンバ」「ポルテーラ・ナ・アヴェニーダ」は名唱だと思います。
この時、彼女のご主人のパウロ・セザル・ピニェイロさんも来ていたのですが、
この当時は良く存じ上げませんでした。
ノッソ・サンバの面々はとても気さくで、初めてみるスルドやパンデイロの使い方
を親切に教えてもらったりしました。
このコンサートの後、クララがなぜあの衣装だったのか、とか「三つの民族の歌」
とはどういうことかなどの疑問がわき、調べたり人に聞いたりしているうちに
すっかりサンバにハマって行きました。
来日してすぐあとクララは「ナサォン」の入ったアルバムを発表します。
それがラストアルバムになりました。クララは1983年手術中に麻酔の事故で
この世を去りました。享年38才でした。
とにかくクララのコンサートを聴かなければ、こんなにサンバにのめり込むことも
なかったでしょう。
で、このラストアルバムの「ナサォン」がいたく気に入り
ジョアン・ボスコとアルジール・ブランキという名前を知ることになりました。
2003年にブラジルで出たベスト盤です。褐色のサンバ、ポルテーラ・ナ・アヴェニーダを収録。

by caymmi1 | 2007-02-07 22:28 | ブラジル音楽


