誕生日
2010年 03月 21日
今日は誕生日でした。
もう何十回めの誕生日は、本を読んで過ごしました。
仕事がら認知症関係の本を読んでいたのですが、
認知症とは、自分の中の認識している世界を自分なりの解釈で
再構築すること。なんだそうです。
だから病院やホームの廊下が「道路」とか、看護師さんが「親切な隣の人」になっちゃうんだそうです。
そしてひとつひとつは了解可能なこと。つまり文節化されてしまった現実であり、
不自然ではないのですが全体的にみれば、やはりおかしいということなんですね。
翻ってみれば、我々は自分がおかしいとは思っていませんよね。
認知症のさなかにある人も自分がおかしいとは思っていません。
ただし、自分の中にある「世界」と自分以外の人たちが持っている「世界」と解釈が違って
いるということなのですね。
我々は言葉で世界を認識しているわけですが、だからこそ現実の解釈能力が落ちてきて、
イメージがあいまいになってくると、自分なりの解釈でもってあてはめていってしまうのです。
関係ない人を自分の夫だとかと言ってみたりするわけです。
知能はちゃんとあるのにそういうことがおこりえるわけですね。
さてさて今日は風が強かったので、本を読んで過ごしましたが、
もっと暖かくなったらまた散歩したいですねー。
もう何十回めの誕生日は、本を読んで過ごしました。
仕事がら認知症関係の本を読んでいたのですが、
認知症とは、自分の中の認識している世界を自分なりの解釈で
再構築すること。なんだそうです。
だから病院やホームの廊下が「道路」とか、看護師さんが「親切な隣の人」になっちゃうんだそうです。
そしてひとつひとつは了解可能なこと。つまり文節化されてしまった現実であり、
不自然ではないのですが全体的にみれば、やはりおかしいということなんですね。
翻ってみれば、我々は自分がおかしいとは思っていませんよね。
認知症のさなかにある人も自分がおかしいとは思っていません。
ただし、自分の中にある「世界」と自分以外の人たちが持っている「世界」と解釈が違って
いるということなのですね。
我々は言葉で世界を認識しているわけですが、だからこそ現実の解釈能力が落ちてきて、
イメージがあいまいになってくると、自分なりの解釈でもってあてはめていってしまうのです。
関係ない人を自分の夫だとかと言ってみたりするわけです。
知能はちゃんとあるのにそういうことがおこりえるわけですね。
さてさて今日は風が強かったので、本を読んで過ごしましたが、
もっと暖かくなったらまた散歩したいですねー。
by caymmi1 | 2010-03-21 23:42 | 雑感