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武士

平安の末期ころから、桓武天皇や清和天皇の係累が臣籍降下をし、
その一部が「さぶらうもの」として貴族に仕えるようになります。
本来は国司に任命された貴族が赴任地に赴かず、
かわって「さぶらうもの」がその代わりをつとめたり、
ボディガードみたいに貴族の身辺警護をするようになります。

坂東の地はことさら治安が悪く、武力がどうしても必要だったのです。
また、辺境(坂東は今の関東で、京都からすれば辺境。)では新田開発もその「さぶらうもの」
が行いました。それが「武士」なのですが、やがて新田経営を通して力を蓄えて行きました。
関東の各地に「牧」をつくり、平時は農耕、戦時は使役のため馬を飼うようになります。
また、平氏のように交易を行い、こちらの方はある時は貿易、ある時は海賊となりました。

そうして力と財力を蓄えるようになりますが、そのころは「武士道」というものは存在していませんから、
おそらく今でいうと「ヤクザ」みたいなものだったのではないかな?と思っています。
「源平盛衰記」などでも、木曽義仲がことさらに無礼者のように表現してあるように思います。
貴族は彼らのことを恐れ嫌っていたのでしょう。

貴族は儀式をしたり、和歌を詠んだりするのに忙しく、(まつりごと)ほとんど政治らしいことは、
ほとんどやらなかったのでしょう。
福島県の相馬には「相馬野馬追」というお祭りがあるのですが、
これは古くは「軍事演習」だったそうです。

神旗争奪戦と競馬(比べ馬)があるのですが、
競馬のとき、監視の人が不正なスタートをしないように大声で注意をします。
もうほとんど「けんか状態」なんです。

ヤクザは怖い反面、リアリストでもあります。
武士も徹底した現実主義者ではなかったかな?

この話題まだ続きますね。

by caymmi1 | 2010-02-22 00:54 | 歴史

 

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