人気ブログランキング | 話題のタグを見る

歴史とイデオロギー

歴史とは不思議なものだと思います。
あるきっかけで、大国がその地位を失ったり地位を得たり、革命があったり挫折したり。
ちょっと考えるとそこには法則性があって、その法則にあてはめるとすべての謎が解けるような
気がしてしまいます。しかし現在のところその試みは成功しているのでしょうか?

その法則さえ解いてしまえば、たとえば戦争など争いがない平和な社会が訪れるのでしょうか?
そうであって欲しいと僕は思います。
日露戦争の少し前、機関銃が実用化され、定かではありませんが、
これで戦争はもはやできなくなると当時の識者は語ったそうですが、
一向に戦争は止む気配はありませんでした。

ファシズムや共産主義運動もイデオロギーを用いましたが、
誤解を恐れずに言えば、ある種の平和運動も僕にはイデオロギーに見えます。
これはもちろん平和に価値を求めないという意味ではありません。
「核なき世界」というのはもちろん期待はしたいのですが、
ではすべての国や武装勢力が一斉に核を放棄することは
ありえるのでしょうか?

おそらくそれはありえないでしょう。なぜなら、もう我々は核兵器の存在を知ってしまっており、
すべての国や団体(あるいは個人)が核兵器を放棄した状態で、
もし密かに核兵器を持っていたならば言葉は悪いですが、他国に対し恫喝に使おうとするでしょう。
現在でもある国は核兵器を所有したがっているように思います。
核をもてば外交交渉のテーブルについてくれると思っているようですね。

だからといって日本が核武装すれば良いと思っているのではありません。
日本における平和運動や非核運動があまりに理念的に過ぎると感じているためなのです。
西郷隆盛は「平和を維持するためには戦争する覚悟でやらなければだめだ」
という意味のことをいったそうですが、ぜひ現実と理念のバランスをとりながら運動を
すすめていって欲しいと思います。

どんな理念でも固定化されイデオロギーになってしまえば理念は形骸化してしまい、
それこそ「呪文」の類いになってしまうと思うのです。

少し表題と離れてしまいましたが、お許しください。

by caymmi1 | 2010-02-21 22:09 | 歴史

 

<< 武士 金沢 心に響く味 >>