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余談

鎌倉時代、弘安、文永の役、すなわち元寇ですが、
(元が日本に攻めて来た。)そのときに
「神風」が吹いて元軍が壊滅したという話は
ご存知だと思います。

中世史の研究者である故網野義彦さんの仮説が
面白いのです。
鎌倉時代の武士は幕府から動員がかかると、
「いざ鎌倉」というわけで戦闘の準備をして駆けつける
のですが、それは見返りをもとめているのであって
単純な奉仕ではありません。(奉公→御恩の関係。)

戦後、幕府はそれぞれの武士たちに恩賞をあたえたり、
略奪を黙認したりするわけで、
普通は負けた相手の土地だったり権益をとりあげて
恩賞にするのですが、
このとき各地の寺社が調伏や祈祷をさかんに
行っています。
「神風」とはその寺社の調伏や祈祷の効果だったので、
つまり平たく言うと、恩賞が欲しいということだったのではないか?
ということでした。
武士たちが、ことこまかに戦闘の記録をつけていたのは、
あとでこれこれの戦果をあげたので恩賞をくれ!ということだったのです。

元寇では元の軍隊(実際には高麗や宋などの寄り合いの軍)からは
土地や権益などは取れないので、恩賞を与えるのは
きわめて困難でした。そしてそれが御家人の失望を買い、
鎌倉幕府の滅亡の遠因になったという事です。

昭和になり「神風」は特攻隊に結びつけられてしまうのですが、
鎌倉時代においては「神風」とは祈祷や調伏の効果として、
寺社勢力が言い出したことだったのでしょうね。

鎌倉時代は「武士道」というものはまだ成立していません。
そもそも武士といものは自分の生存権を守るために武装
していたのであって、必要がなくなれば廃れて行きます。

源氏も平家も自身が権力を握ってしまうと公家みたいに
なっちゃいました。実朝は「金槐和歌集」を編んだ歌人
でもあります。で、三浦氏と組んだ(?)公暁に殺されてしまいます。
北条氏が暗殺したのでは?という話もあるのですが、
この時、太刀持ちであった北条義時が体調不良を訴えて源仲章に
代わってもらいますが、公暁はその仲章を斬り殺しています。
これが本来なら義時ですから、北条氏がかかわったとは考えにくいですね。
ただし、なんらかの情報をつかんでいたかもしれません。

公暁はこの事件の直後に三浦義村(乳母夫)に使いを送ったのですが
なぜこのことを三浦に知らせたのでしょうか?
義村は北条義時に知らせ、公暁は討たれてしまうのですが、
公暁は義村から使いがこないので雪のなか義村邸に向かいそこの
塀をよじ上ろうとするところを打ち取られてしまいます。
そして実朝の首はなぜか行方不明になってしまいました。

言い忘れましたが公暁は二代将軍頼家の次男です。
しかし謎ですねえ。
いかんいかん寄り道しすぎちゃいました。
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by caymmi1 | 2010-08-25 13:57 | 歴史

また鎌倉を考える。

最近、中世都市鎌倉を掘るという本を読みました。
ちょっと堅い本ですが、とても面白かったです。
鎌倉考古学研究所、網野義彦という日本の中世史研究の第一人者(惜しくもなくなられましたが。)
が編集をしたということで読んでみる気になりました。

そもそも鎌倉は京都や奈良よりも研究が進んでるとはいえません。
この本は「御成小学校」の発掘調査をもとにしたパネルディスカッションの
内容を編集した本です。

1消費都市としての鎌倉。この発掘調査で大量の漆器が出て来てしかもそれが
 ほとんど新しいものだった。これは「使い捨て」の容器だったのではないか?

2鎌倉の最盛期は周辺をあわせると10万人規模だったのではないか?
 従来考えられているより大規模な都市だった。

3宋からの大量の磁器が出土した。鎌倉は日本における宋文化の輸入センター
 だった。

ざっと内容を説明するとこんな感じなのですが、
ひとつ面白いことがあり「四角四境祭」のことが話題に上りました。
それは鎌倉における安倍晴明信仰のことです。
北鎌倉の踏切の近くに安倍晴明の碑があるのですが、
これは明治39年に建てられたものであり、
このころまでこの北鎌倉では安倍晴明信仰があったとのこと。
建長寺の向かいに第六天を祭った社がありますが、
ここにも安倍晴明の碑が建っています。

大三輪さんという研究者によると、天台山が京都でいえば比叡山の方向に
あたり、八雲神社は祇園社と呼ばれていたとのこと。

山ノ内は鎌倉の北の結界であり、この八雲神社で陰陽師が、
四角四境祭のうち四境祭が行われ、
ただし、吾妻鏡には3代将軍より以降の記録しか見られない。

当初、鎌倉の御家人たちは陰陽道にあまり関心がなかったが、
このような陰陽道はやはり京都からの文化流入だったのでしょう。
弘安10年に安倍晴宗が鎌倉陰陽寮の長官に就任しています。
やはり、武力だけでは政治はうまく機能しない
ということなのでしょう。
大江広元が京都から鎌倉へ下向し、
頼朝の家政機関の公文所の別当になります。

続く
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by caymmi1 | 2010-08-24 00:50 | 歴史

岩波少年文庫

夏休みと言えば、虫取り、花火、スイカ、などが思い浮かびます。
でも僕にとってはもうひとつ岩波少年文庫の思いでです。
小学4年生くらいまでは「ドリトル先生」シリーズを親から
買ってもらっていたのですが、
夏休みにはじめてひとりで書店へいき、
「とぶ船」を買いました。

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とてもどきどきして買ったのを覚えています。
内容はもうすっかり忘れていますが、少年が買った船の模型が
タイムマシンになるというような話でした。
中学生になると、それこそ大人むけの文庫を読むように
なったので、岩波少年文庫は小学生高学年の思いででしたね。

なつかしくなり近くの図書館へ行って借りて来ました。
小学生に戻った気分です。
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by caymmi1 | 2010-08-21 17:10 | 雑感

盆踊り

今年は夏らしいことはなにもしなかったので、
せめて盆踊りでも見物に行こうかと
思いました。
幸い北鎌倉の円覚寺で盆踊りが行われていました。

こじんまりとしていて子供たちがいっぱいの盆踊り
でした。
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かなり薄暗くて、ノイズいっぱいの写真しか撮れませんでした。
内蔵ストロボじゃあちょと無理でした(笑)。

ラムネ飲んで帰りましたが、子供たちはあの薄暗い境内が
ちょっと怖いみたいでした。
なんか子供の頃を思い出しました。
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by caymmi1 | 2010-08-17 20:08 | 雑感

カリニョーゾ Carinhoso

なぜか、カリニョーゾというピシンギーニャが作ったブラジルの
名曲が聴きたくなりました。

だれが良いかな?
あ、マリーザ・モンチかな?

というわけでパウリーニョ・ダ・ヴィオーラと
一緒に演奏しています。



昔、エリゼッチ・カルドーゾで聴きました。
すばらしい演奏でしたね。
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by caymmi1 | 2010-08-12 22:03 | ブラジル音楽

抹茶を一服

先日、鎌倉の別名「竹の寺」報国寺に行って参りました。
たいして良い写真は撮れませんでしたが、
抹茶を一服頂きました。
夏の戸外で抹茶というのは考えもしませんでしたが、
思った以上にサッパリして気持ちの良いものでした。
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報国寺はまた別な機会に写真を撮ろうかと思います。
さて、少し寄り道をして「鎌倉文学館」に行ってみました。
まあ展示の内容はともかくとして、
この建物は加賀の前田家の別荘でした。
前庭からは海が良く見えます。

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またまた帰り道、北鎌倉で「ナミアゲハ」を見ました。最近なかなか見ないので
思わず撮ってしまいましたが、超望遠で撮ったためぶれてしまいました。
あははお許しを。
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by caymmi1 | 2010-08-11 11:31 | 花 風景 旅 美術

8月

8月になると僕は思うのですが、
どうしても「死」というものに思いを向けてしまいます。

お盆、原爆投下、終戦、思いつくままあげてみても、
やはり8月はどうしても「死」がキーワードになっている気
さえします。

でもそれとは裏腹に8月は「祭り」のシーズンです。
生のエネルギーに満ちあふれる月。特に東北は
そうですよね。

七夕、(仙台では8月です。)秋田竿燈、弘前ねぷた、青森ねぶた、
山形花笠、その他名だたる祭りの季節です。

そうそう高校野球はトーナメント戦なので余計に
そう思うのでしょうが、あれもお祭りなのでしょうね。
(決して蔑ろにしている訳ではありません。)

東北では夏祭りが終わると一気に秋という風情なんですが、
今年はどうでしょう?お米の作柄も気になります。

今年は七夕見れませんでした。やはり心残りですね。
芋煮会は楽しみにしてるんだー。
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by caymmi1 | 2010-08-06 19:10 | 雑感

ブラジル音楽中心の雑感