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ハンドルネーム占い

もう四月もおしまいですね。
ゴールデンウィークに突入です。

さてさて、「ハンドルネーム占い」というものをやってみました。
結果は「素朴、自然、大雑把、合理的、論理的」なんだそうですが、
あたっているのかな?
そして改名あんとして「大吉」なのは、なんと、

ロドリゲスえんたつ
なんだそうです。
いやはや大笑いですね。
ではでは。
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by caymmi1 | 2010-04-29 19:13 | 雑感

料理と水

最近はちっとも料理らしいことはしていません。
玄米や麦飯と少々のおかず、味噌にネギ。たまーに鶏肉の酒蒸しを作り、
薄く切ってご飯に乗せるくらいですかね。
おかげさまで、3kgくらい痩せました。まあ仕事のせいでもあるんだけど。

おかげで、野菜の味に敏感になりましたね。
肉食をしているとどうしても味が濃いので、
マスキングされてわからないのですね。
それと魚の味が濃く感じられるようになりました。

お浸しを食べたくなり少し作るのですが、あれは本当に素材と水の味が
左右されますね。鮮度の悪い野菜では美味しくありませんしね。

昔、父に連れられて山に行きました。
沢水の美味しかったこと!そしておばさんたちが
漬け物用の野菜を洗っていました。水道の水よりもっと
美味しくなるんだそうです。

水場は今もありますが、公表はしません。どうしてかというと、
必ずといって良いほど大量に
持って帰ったりする人が現れるからです。
水は山の幸って考えて良いと思います。
山など自然の幸はいわば銀行でいうところの利子と同じ事です。
荒らしてしまえば元を失っちゃいますよね。
山菜でも樹木でも生き物でも取り尽くしてしまわないことが
保護につながるんだなあと
僕は思っています。

「鎮守の森」ということで、はからずも
自然が守られて来たと思うんです。
そして里山は自然を利用して、また再生をさせて、
人々の生活に役立たせてきたと思うのです。

僕は自然の森に絶対手をつけちゃいけない!っていう
考えには反対です。山菜などには、ある地区では利用されているが、
ある地区では食べられてないってことも多いらしいんです。

これは食べられる、これは毒っていう人間の知恵を伝承するためにも、
山に入り感謝して頂くってことは重要だと思うのです。

昔、「ソイレントグリーン」というSFの映画を見た事があるのですが、
未来の世界では、「ソイレント社」が画期的な食品を開発し、
その街からは飢餓がなくなりました。
人々はその会社の製品を買い、飢えをしのいでいたのですが、
その「ソイレント社」はとんでもないことを思いつきます。
それは?といった内容です。

その映画では金持ちは途方も無い金額で「自然な」食品を食べていました。
(記憶がうろ覚えですが)。
「ソイレント社」は製法を企業秘密として公表しません。
それでこんな怖い話になるのですが。
機会がありましたらぜひ一度ご覧下さい。

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なにぶんにも古い映画ですが、主演はチャールトン ヘストン、エドワード G ロビンソンということです。
なんと、設定は2022年のニューヨークらしいです。
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by caymmi1 | 2010-04-24 17:14 | 日々のおかず、料理

今様

鎌倉を語るとき、源義経の存在は欠かせません。
静御前は義経の愛妾でありますが、
いわゆる「白拍子」という男装で芸能を行う女性あるいは若年の男性でした。
歌舞伎に連なる彼女らは、「今様」という自分の心情を表現した
歌と踊りを演技していました。

義経が頼朝の怒りを買い、逃避行の最中、静御前は吉野で捕らえられました。
鎌倉に護送された静御前は、頼朝から鶴岡八幡宮へ
奉納の舞を踊るように命令をうけました。

大観衆で埋まった八幡宮の舞台で静御前は、愛する義経を思い、

しずやしず しずのおだまきくりかえし
昔を今になすそしもながな
吉野山 峰の白雪ふみわけて いりにし人のあとぞ恋しき

社殿には頼朝と北条政子がそろってこの静の舞を見入っていた。
しかし頼朝は公然と義経への心情を歌った静御前に激怒しました。

しかし政子はそんな頼朝に、
「石橋山の合戦に破れてあなたの行方がしれないとき私はとても心配しました。
今の静も同じ事です。どうか舞を褒めて下さい。」といい、
頼朝をとりなしました。政子も夫の頼朝を熱愛し、
父の意思に背いて頼朝のもとへ奔った女性だったのです。

頼朝の生まれた西国では多数の女性と関係することが当たり前だったのに、
東国では一夫一婦制といって良いかもしれません。
政子の歴史上の評価は芳しくはなく、「尼将軍」などと呼ばれています。
政子は公的にも私的にも夫と行動をともにしていたといいます。

これ以降、静と政子とは親しく交際したが、静が義経の子を出産し、
しかも男児だったことから、由比が浜に子供は捨てられました。
政子がとりなしたがこれは聞き入れられなかったといいます。

由比ケ浜からはおびただしい数の人骨が発掘されました。
理由はよくわからないがある時点からこの浜は遺体捨て場になったようです。

東国の女性たちは気性も強かったが、積極的に人を愛し、
自己主張も激しかったようですね。ただし、この話は「吾妻鏡」にしか
出てこない話だといいます。「吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式歴史書です。
ひょっとすると政子の偉大さを後世につたえるための
創作かもしれないとの説もあります。

いずれにせよ自分の矜持を貫いた愛の物語と言えましょう。

上村松園 「静」

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by caymmi1 | 2010-04-20 19:04 | 歴史

香り

今日の話はたいした話じゃありません。
「香り」の話です。

特に女性にすこし近づいたとき、ふわっと香るとちょと「ドキッ」としていまいます。
おもわず好きになるってわけでもありませんが、やはり良いものです。
逆にどんなに美人でも香りすぎるというか、悪臭になってしまっている人も
多いのですがね。

最近は電車にのることも少なくなりましたが、たとえばラッシュ時の
東京あたりの通勤電車で身動きもできないとき、
隣の方がこういう香りすぎる人には困ったものです。
気持ち悪くなっちゃいます。好感度は当然、低くなっちゃいますよねー。

香りで急になにかというか人を思い出すってことが良くありますね。
不思議なものですね。あとだれかとすれ違ったとき、香りで思わず
振り向いちゃうことってありますよね。
そんなとき、良い香りであれば(自分にとって)、
すごく美人に感じる事があります。
香り美人って、理性を通り越して直接感性に訴えるみたいです。
ああ、香り美人にであってみたいな。って思いますね。
ではでは。

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by caymmi1 | 2010-04-18 22:55 | 雑感

ええと、この前の続きです。
今回のは明白な論拠もないのですが、自分で考えたことです。
鎌倉は観光案内では「古都」ですが、僕の感じでは京都や奈良の古さとは
違うと思います。
「公家の文化」の京都だとすれば、鎌倉は「武家文化」としての都市であろうかと思います。
金沢もやはり「武家文化」の都市だと思いますが、精神性、いいかえると宗教施設である社寺の
性格が違うような気がします。

京都の政治、文化、思想に対するものがそろっている都市は江戸をのぞいては鎌倉ぐらいしか
ないような気がします。
特に鎌倉の新仏教としては「禅宗」や「日蓮宗」、「浄土真宗」、「時宗」などですが、
そのなかでも「禅宗」の名刹の多さは他に比類がありません。

鎌倉は江戸が文化の中心になるまでは、実に先駆的な所だったと思います。
「宋」の文化の茶、精進料理、水墨画、こういうものが日本文化に輸入されてきました。
残念ながら鎌倉は室町幕府の「鎌倉府」をめぐる混乱から衰退していき、
江戸開府にともない鎌倉はすっかりさびれてしまいますが、
江戸時代の後期になると江戸の観光地になっていきます。

建長寺の扁額です。実に大きな字で「建長興国禅寺」とはっきり読めますね。
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by caymmi1 | 2010-04-17 23:48 | 歴史

鎌倉を少し考えてみる

鎌倉は現在は観光都市ですが、以前はもちろん鎌倉幕府の所在地でした。
そして寺院が多いですね。

平安期は鎌倉のある関東は「坂東」とよばれ、また「東夷」の地でした。
京都からは穢れた地で、「源頼朝」が京都から伊豆へ「遠流の刑」で流されたことは良く知られていますね。
また伊豆や八丈島にはよく異形の化け物が出たと良く都では噂になったようです。

鎌倉幕府は頼朝だけが作ったわけでなく、北条や三浦、和田や千葉氏など関東八平氏や武蔵の
豪族などが中心になって作り上げた「東国国家」でありました。
朝廷や貴族の使い走りだった野蛮な武士たちが新しい国家を作ったわけです。

だからこそ義経の振る舞い(後白河上皇から官位をもらった)が許せなかったのですね。
「万死に値する」と思った訳でしょう。
そして「八幡神」の勧請です。今は「はちまん」と読みますが、以前は「やはた」と読んだようです。
この神は矢とか秦氏に関係するという説もありますが、確かなことはわかりません。

平将門が「新皇」の即位を上野の八幡神で行ったという事もありますね。
都に対する対抗意識がとても強かったと思います。
東国の武士団はたぶんに狩猟民族的性格があり、都の貴族たちはそのことを蔑みの対象にしていたし、
わざわざ鎌倉へ行く事を「下向」といっていたようです。仏教と中華思想がまじりあい、
殺生を行う者が関東の野蛮な土地に住んでいると思ったようですね。だから「あずまえびす」
なんでしょう。

なにせ坂東の地では「親も討たれよ子も討たれよ」というのが信条でしたからね。
しかし、その鎌倉の地にも陰陽道や当時の新しい仏教である禅宗などが急速に流れ込んできました。
特に三代将軍の実朝は自ら宋に渡りたいと思ったようです。

様々な争乱の末、執権としての地位を手に入れた北条氏は「文永、弘安の役」という国難をむかえ、
精神的支柱に禅宗を導入しました。特に鎌倉五山の一位の「建長寺」の扁額には「建長興国禅寺」
とはっきり大きく読めますね。ほんとに大きいものです。やはりこれはスローガンととらえるべきでしょう。

宋の有名な僧侶が鎌倉へ渡ってきました。「無学祖元」や時代は下りますが、「夢想疎石」など。
当然ひとりではなく、たくさんの僧侶も渡っていたことかと思います。
京都に対抗して「武家の文化」を作ろうとしていたと思います。
もちろん禅宗の食文化である「精進料理」や「茶道」も独特に発展しました。

しかしやがて鎌倉は新田義貞に滅びされてしまいます。
足利氏は関東でありながら京都の室町に幕府を開きます。
鎌倉には「鎌倉公方」というものを設置しましたが、ゆくゆく「堀越公方」と「古河公方」
というものに別れてしまい、あまつさえ関東管令の上杉氏も勢力をのばし、鎌倉じたいは
混乱にまきこまれて行きました。
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by caymmi1 | 2010-04-15 19:01 | 歴史

円覚寺

僕の住んでいる所からあるいても40分くらいで臨済宗円覚寺派の総本山「円覚寺」があります。
仙台にいたときから何回か行ってはいたのですが、鎌倉ではもっとも好きな寺のひとつです。
ここは宗教施設として今もたくさんの雲水さんが修行しておられるところです。
すこしだけ写真を撮って来ました。
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多くの寺がいま宗教施設としての機能が失われているなか、円覚寺は今もその機能を失っていません。
中世から現代へ続いています。だからこそ尊いのでしょうね。
雲水さん頑張って修行してくださいね。
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by caymmi1 | 2010-04-10 23:47 | 花 風景 旅 美術

最近思うこと

僕ももう人生の後半という歳にさしかかってきました。
しかしさっぱり成長はしていませんね。
精神年齢は20代で止まっているような気がします(笑)。
さてさて、最近よく考えることがあります。
それは「人間とは?」と言うことなんです。

キリスト教では神と人間との間の契約でしょうか。それによって人間として
神から担保されるということになるんでしょうね。
あまり神学は得意でないので、間違っていたらお許しを。

日本では人は人の繋がりのなかで初めて認知されるという傾向があるようですね。
だからそれから離れることを恐れますよね。
人と一緒の行動がしたいという心理はそういうことから来ているのだと思います。
どちらが優れているという問題ではないと思いますが、
それによってずいぶん死生観が違うのも事実ですね。

僕は僕であるが、僕だけのものでなく、キリスト教などでは神のもの。
日本や他の類似した文化的背景をもつ社会では、家族や親類縁者あるいは友人その他によって
生きることを希望されている人々によって「生かされて」いるわけです。

キリスト教文明のなかでは人は信じないが神は信じるという人も少なからずいるようです。
またこういう背景があるからこそ天才も生まれやすいのでしょうね。

また日本では「皆と同じ」にしたいという意識が働くのでしょう。
平均的な知的能力はレベルが高いと思います。
良くも悪くも日本人のこれは特質だし、他の国々とは違うかも知れませんね。
過剰評価する必要もありませんが絶望する必要もないと思うのです。
白村江の戦い、蒙古襲来、南北朝の動乱、応仁の乱、戊辰戦争などなど日本はたびたび
危機を迎えています。
日は昇り日は沈み、また日は昇ります。

僕はこれからどういう人生を送るかはそれこそわかりません。たぶん神様がご存知なのでしょう。
うんやはり意地悪じいさんみたいになるのかな(笑)?
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by caymmi1 | 2010-04-07 23:04 | 雑感

神奈川県の歴史

神奈川県に引っ越してもう三ヶ月目です。
もはや4月になってしまいました。
仙台とはいくらか気候や植生が違いますねえ。でもいくぶんは慣れました。
僕の住んでいるところは鎌倉にごく近いこともあり、(北鎌倉まで歩いて40分くらい)
日本の中世に興味を持ちました。特に鎌倉幕府を成立させた「東国武士団」のことです。

それで本を見つけました。永井路子著 「相模のもののふたち」です。

仙台に住んでいると伊達家が大きくてなかなか関東の歴史には目が向いていませんでした。
鎌倉幕府はなにも頼朝や北条家ばかりが作った訳ではなく、
和田、三浦、梶原という有力なご家人が作り上げた武家の政権でした。
 
特にこの本で興味を惹いたのは、現在の秦野市は波多野の郷であり渡来系の秦氏が住み
古くから開発され、当時の先進地帯であったということです。
鎌倉からは結構遠いのですが、そこで永井氏いわく、三浦氏を初めとする海の武士と
波多野氏を初めとした山の武士がいたのではないか?ということでした。
まだ読みかけですが、ちゃんと読んだらまた記事をアップしたいと思います。

有隣新書 永井路子著
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by caymmi1 | 2010-04-07 19:11 | 歴史

ブラジル音楽中心の雑感
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