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徐々に春

まだまだ真冬並みの気温の地方の皆さんもいらっしゃいますが、
こちら鎌倉は徐々に春めいて来ました。
そして合格の春でもあります。

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色々な花々がこれからどんどん咲いていきます。楽しみです。
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by caymmi1 | 2010-02-26 22:19 | 花 風景 旅 美術

武士

平安の末期ころから、桓武天皇や清和天皇の係累が臣籍降下をし、
その一部が「さぶらうもの」として貴族に仕えるようになります。
本来は国司に任命された貴族が赴任地に赴かず、
かわって「さぶらうもの」がその代わりをつとめたり、
ボディガードみたいに貴族の身辺警護をするようになります。

坂東の地はことさら治安が悪く、武力がどうしても必要だったのです。
また、辺境(坂東は今の関東で、京都からすれば辺境。)では新田開発もその「さぶらうもの」
が行いました。それが「武士」なのですが、やがて新田経営を通して力を蓄えて行きました。
関東の各地に「牧」をつくり、平時は農耕、戦時は使役のため馬を飼うようになります。
また、平氏のように交易を行い、こちらの方はある時は貿易、ある時は海賊となりました。

そうして力と財力を蓄えるようになりますが、そのころは「武士道」というものは存在していませんから、
おそらく今でいうと「ヤクザ」みたいなものだったのではないかな?と思っています。
「源平盛衰記」などでも、木曽義仲がことさらに無礼者のように表現してあるように思います。
貴族は彼らのことを恐れ嫌っていたのでしょう。

貴族は儀式をしたり、和歌を詠んだりするのに忙しく、(まつりごと)ほとんど政治らしいことは、
ほとんどやらなかったのでしょう。
福島県の相馬には「相馬野馬追」というお祭りがあるのですが、
これは古くは「軍事演習」だったそうです。

神旗争奪戦と競馬(比べ馬)があるのですが、
競馬のとき、監視の人が不正なスタートをしないように大声で注意をします。
もうほとんど「けんか状態」なんです。

ヤクザは怖い反面、リアリストでもあります。
武士も徹底した現実主義者ではなかったかな?

この話題まだ続きますね。
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by caymmi1 | 2010-02-22 00:54 | 歴史

歴史とイデオロギー

歴史とは不思議なものだと思います。
あるきっかけで、大国がその地位を失ったり地位を得たり、革命があったり挫折したり。
ちょっと考えるとそこには法則性があって、その法則にあてはめるとすべての謎が解けるような
気がしてしまいます。しかし現在のところその試みは成功しているのでしょうか?

その法則さえ解いてしまえば、たとえば戦争など争いがない平和な社会が訪れるのでしょうか?
そうであって欲しいと僕は思います。
日露戦争の少し前、機関銃が実用化され、定かではありませんが、
これで戦争はもはやできなくなると当時の識者は語ったそうですが、
一向に戦争は止む気配はありませんでした。

ファシズムや共産主義運動もイデオロギーを用いましたが、
誤解を恐れずに言えば、ある種の平和運動も僕にはイデオロギーに見えます。
これはもちろん平和に価値を求めないという意味ではありません。
「核なき世界」というのはもちろん期待はしたいのですが、
ではすべての国や武装勢力が一斉に核を放棄することは
ありえるのでしょうか?

おそらくそれはありえないでしょう。なぜなら、もう我々は核兵器の存在を知ってしまっており、
すべての国や団体(あるいは個人)が核兵器を放棄した状態で、
もし密かに核兵器を持っていたならば言葉は悪いですが、他国に対し恫喝に使おうとするでしょう。
現在でもある国は核兵器を所有したがっているように思います。
核をもてば外交交渉のテーブルについてくれると思っているようですね。

だからといって日本が核武装すれば良いと思っているのではありません。
日本における平和運動や非核運動があまりに理念的に過ぎると感じているためなのです。
西郷隆盛は「平和を維持するためには戦争する覚悟でやらなければだめだ」
という意味のことをいったそうですが、ぜひ現実と理念のバランスをとりながら運動を
すすめていって欲しいと思います。

どんな理念でも固定化されイデオロギーになってしまえば理念は形骸化してしまい、
それこそ「呪文」の類いになってしまうと思うのです。

少し表題と離れてしまいましたが、お許しください。
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by caymmi1 | 2010-02-21 22:09 | 歴史

金沢 心に響く味

今から20年も前、ふと金沢のおでんが食べたくなって、
仙台から一昼夜かけて行っていらい、
金沢の心に響くような味の世界に魅惑されています。
特に黒百合というおでん屋
さんが金沢駅のビルにあるのですが、ここのおでんは、通常考えるようなおでんではありません。
品格があるというのか、一品料理として独立している感じがします。

以前、5月に行ったとき、大根と筍を頂きましたが、想像していた味を超えた加賀野菜の味の深さを
実感しました。素材もさることながら、おでんというものに限りない愛情が感じられるものだったのです。
通常の家庭でつくるおでんとは異質な料理です。
いわゆるB級グルメというのでもないですね。「金沢のおでん」という料理というものだと思います。
もう5年も前になるのですが、一緒に行った息子が未だに「あのときの筍は美味しかった。」
といいます。単に味が良いというのではなく、心に響くような軽い衝撃があったということです。

このような料理は出来ないものかといつも思っています。
ただ単に美味しいものではなく、心に訴えるような料理はできないものかな?
と考えています。

美味しいとはなんでしょう?単に味が良いということではなさそうですね。
食べたとき、「ああ、美味しかった。満足した!」って思うのは、どういう時なんでしょうね。
もう少し考えてみようと思います。
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by caymmi1 | 2010-02-15 19:56 | 日々のおかず、料理

心に残る音

仙台の家からは直接は見えませんが、
少し裏にまわると「泉ケ岳」が見えます。
5月、泉ケ岳のブナ林の葉の色がすっかり深緑になったころ、
「エゾハルゼミ」が鳴き出します。

夏の蝉とは違い、なぜか暑苦しい鳴き声ではありません。
ミョーケンミョーケンという鳴き声なのですが、
あまり訪れる人がいないブナ林に響きわたるのです。

梅雨の季節になる前の晴れた休日に、よく行きたくなります。
そして、コーヒーを飲みながら、エゾハルゼミの合唱を聴きます。
ときどき耳に入る「ムシクイ」の鳴き声もアクセントになります。

その鳴き声がだんだん自分に沁み入ってきて、
自分がなにか周囲と一体になったような気がしてくるのです。
不思議な感覚です。

たかだかというか、エゾハルゼミという昆虫の鳴き声なんです。
ちっぽけな昆虫にそんな効果がもたらすものはなんでしょう?

物理では「共鳴」という言葉がありますが、振動している物体が他の物体を振動
させてしまうことです。

どうも耳からだけではなさそうです。エゾハルゼミの群れは相当大きなエネルギーを
持っている感じがします。おそらくそのエネルギーを感じているのでしょうね。
そうしてみると昆虫という「システム」は巨大なものだと思います。
けっしてちっぽけなものではないと思います。
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by caymmi1 | 2010-02-02 22:04 | 雑感

ブラジル音楽中心の雑感