さて前回に引き続き僕の好きなアーティスト
カルトーラ編です。
リオの観光局の後援を受け、
カルトーラは、ネルソン・カヴァキーニョ、クレメンチーナ・ヂ・ジェズス
などのアーティストを紹介します。
これが好評だっららしく、
1963年に「ジカルトーラ」というレストランを開店
させます。夫人のジカとカルトーラからつけた名前のようです。
このレストランにはサンビスタだけでなく、
ジョビン、カルロス・リラ、ナラ・レオン、エリゼッチ・カルドーゾ、
ドリヴァル・カイーミなどが来ていたそうです。
店そのものは65年に閉店してしまいますが、
ナラ・レオンが彼の曲をとりあげたことから、
カルトーラはブラジル音楽界の表舞台に
たちます。
1974年には先日紹介した、マルクス・ペレイラ盤で初アルバム
をリリースしました。
カルトーラ66歳でした。この後、生前には
このアルバムを含めて4枚のアルバムを出しています。
マルクス・ペレイラ盤から2枚、RCAから2枚です。
日本では何故か最後のアルバムの「カルトーラ70歳」
が出ませんでした。いずれにしろカルトーラはもとより、
バックのアーティストも素晴らしい人達なので、(サンバやショーロの演奏家)
一度聴いて見て下さい。
長くなってしまいました。曲の紹介やアルバムの内容については、
次回にしたいと思います。

なお、渋谷宇田川町の
barbossaというバールでやっているレコード通販
のサイトで、カルトーラを始め、いろいろなブラジルのアーティストの
演奏が試聴できます。興味のある方はアクセスしてみてください。
[PR]
by caymmi1 | 2007-02-28 08:48 | ブラジル音楽

僕の好きなアーティスト。今回は、
カルトーラを取り上げたいと思います。
Cartola(カルトーラ)本名はAngenor de Olveiraといいます。
1908年リオ生まれ。
マンゲイラの創設者のひとりです。
カルロス・カシャーサとコンビを組み
1948年にマンゲイラを離れるまで、パレードの曲を
カルロス・カシャーサと書いていました。
僕の記憶が定かではありませんが、
カルトーラとは山高帽のことで、若いとき石工として
働いていた時にいつもこの帽子をかぶっていたことから
ついたあだ名だと聞きました。
ノエル・ホーザとは古くからの親友で彼の才能の理解者の
一人でした。
またヴィラ・ロボスも彼の才能を評価し、米コロムビアレコードに
紹介したとのことです。
マンゲイラを離れたあと約10年のあいだ、
彼は洗車の仕事で生計を立てていました。
しかし、1959年映画「黒いオルフェ」に1シーン
登場し、この映画のヒットのおかげで、
リオの観光局はカルトーラにサンビスタのとりまとめ役
を依頼します。
次回に続きます。

1974年にマルクス・ペレイラ盤でリリースされた初アルバム。
邦題では「エスコーラ・ヂ・サンバの首領 カルトーラ 第一集」
として出ました。詳しい内容は次回で。

f0107517_10101718.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-26 10:20 | ブラジル音楽

プロシュートのパスタ

いつも行く酒屋さんで、プロシュート・ディ・パロマ(パロマ産生ハム)
を安く売っていましたので思わず買ってしまいました。
ただ食べるのももったいないので、
パスタを作ってみました。

材料 パスタ(1.7mm)、オリーブオイル、塩、バジル、コショウ、
   ナチュラルチーズ(50gくらい)、生クリーム、生ハム、ほうれん草、
   にんにく

1  フライパンにオリーブオイルを引き、スライスしたニンニクを
   炒め、きつね色になったらひきあげます。

2  引き続きほうれん草を炒めて、しんなりしたら別皿にとります。

3  パスタを多めの塩で茹でます。この時、茹でる時間より、
   早く引き上げます。

4  フライパンにチーズと生クリームを入れ、パスタのゆで汁でのばします。
   焦げ付かないように中火でチーズを溶かし、塩、コショウ、バジルで味
   を整え、ソースを作ります。
   

5  パスタが茹で上がったら、フライパンのソースに和えます。その時、
   別皿にとったほうれん草を一緒に和えます。

6  最後にプロシュート(生ハム)をパスタにのせて出来上がりです。



   すごく大盛りになってしまいました。生ハムは塩分が強いので、
   ソースは薄味にして下さい。今回はほうれん草を使いましたが
   菜の花でも良いですね。ウチではパスタ約500g、ほうれん草2わ、
   生クリーム100cc、チェダーチーズ50gを使いました。(三人分)
   本当ならパルミヂャーノレッジャーノを使いたいところですが、
   何ぶん高価なものですから、今回はチェダーチーズを使いました。
   また、プロシュートは塩味が強いので、塩は控えめにしてください。
   
   
f0107517_7274688.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-22 09:12 | 日々のおかず、料理

前回 エドゥ ロボについて書きましたが、
少し事務的になってしまいました。
今回は彼の演奏について、
個人的な感想を述べたいと思います。
僕の中ではあまりジャンル分けをするのは好きではありませんが、
エドゥの場合は歌唱はボッサノヴァで、
詞はMPBのような気がするのです。
シコ ブアルキと共通するものがありそうです。
彼の曲調はマイナーが多く、派手ではありません。
しかし、暗いかというとそうでもありません。
歌詞の方は北東部らしく、ロマンチックというより
社会派ですね。
そしてまた土俗的でもあります。
しかし、あくまでモダンでかっこよいのです。
そこが一番の魅力でしょうか。
1980年代「神秘的大サーカス」などのシコ ブアルキとの共作がありますが、
(ミュージカル)
彼の世界観が良くわかります。単なる演奏家ではありません。
底知れない彼の魅力ですね。

なお、今年3/21ユニバーサルより1981年に出たジョビンとのアルバムが
再発されるようです。エドゥ&トム
ユニバーサルインターナショナル UICY-6757

3曲目の「バラに降る雨」が僕は一番好きです。

f0107517_15293436.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-18 15:37 | ブラジル音楽

さて、今回からブラジル音楽のアーティストを
中心に特集して行きたいと思います。
一回目はEdu Lobo(エドゥ ロボ)です。
エドゥ ロボは、北東部の作曲家フェルナンド ロボの
子息です。
10代の後半にヴィニシウスと出会い、
1965年エセシオールの歌謡祭で、ヴィニシウスの詞、エドゥの曲である
「アハスタォン」(地引き網)はエリス ヘジーナの歌によって
優勝しました。
彼の曲は「ヘザ」や「ザンビ」で見られるように
呪術的なフレーズが用いられており、北東部の民謡形式が
取り入れられています。
彼の最大のヒット曲はミュージカル「アレーナ・コンタ・ズンビ」
の挿入曲で「ウッパネギーニョ」です。
これもエリス ヘジーナが歌ったのがきっかけです。
1969年よりアメリカに渡り活動拠点にします。
その後ブラジルに戻り1981年までアルバムを
制作しますが、1993年の「エドゥ ロボの大罪」
を最後にアルバム制作はしていません。
現在は舞台や映画音楽の制作に専念しているようです。
90年代の後半から、ロンドンや東京のクラブシーン
で彼の音楽が注目されます。
このとき彼のアルバムが多くCD化されています。
最近、彼のCDを見かけることが少なくなりました。
もっと注目されて良い人だと思います。
少し残念です。

「Edu Lobo por Edu Lobo」はタンバトリオがバッキング
しています。このアルバムには「アハスタォン」や「ヘザ」、
「ザンビ」などが収録されています。
このアルバムの裏面を見ると特にクレジットされていませんが、
ルイス・エサとエドゥがなにやら話し合っている様子から
このアルバムの編曲をルイスがやったのではないか
と僕は思っています。
このCDは最近見かけなくなりました。
もし中古レコード店で見つけたら即「買い」ですね。
宮城県図書館にはこのCDが貸し出し資料として
用意されていますので、宮城県にお住まいのかたは
貸し出しが可能なので、利用されてはいかがでしょう。








f0107517_2544921.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-16 02:54 | ブラジル音楽

少しウチで使っているスピーカー(オーディオ用)の話をします。
ウチでは、プリメインアンプにアキュフェーズE-305V、
レコードプレーヤーにDENONのDP-60L、カートリッヂにDENON DL-103
を使っています。(もうかなり古いです。)
このなかで一番新しいのが、JBL-S2500です。
以前はLE-8TというJBLのフルレンジSPを使っていました。
JAZZには良かったのですが、
ボーカルが今ひとつでした。それで7年位前にひとめぼれ
してこのSPを買ってしまいました。
わくわくして鳴らしてみたのですが、その時は一言で言って「失敗」
だと思いました。堅くて、耳障りな再生音でした。
わがままなお嬢様でしたね。
それからが大変でした。アンプをセパレートタイプにしていたのですが、
どうにも相性があわず、
直前まで使っていたアキュフェーズに戻したり、
カートリッヂをORTOFONにしてみたりしました。
しかし依然としてご機嫌ななめでした。
僕はもうあきらめて、ヘッドフォンで聴いたりもしていました。
するとスピーカーがなんか悲しそうにしています。
そこで、バロックをかけてみました。
おや、なかなかだなあという音だったのです。
毎日少しずつ鳴らしているうちに、音は良くなっていきました。
こうしてウチのわがまま娘はステキな歌い手になっていきました。
でも、いつも綺麗にしていないとご機嫌斜めです。
さあ、掃除をしないとな。

ウチの歌い手です。

f0107517_8433356.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-14 08:43 | 雑感

鰯の梅肉あえ。他一品

最近、ようやく新鮮ないわし(鰯)が店頭にならんでいます。
いわしはDHAをたくさん含んでおり、体にも良いです。
そこで、いわしを使った料理2品ほど紹介します。

いわしの梅肉あえ。

鮮度の良い、まいわしを4〜5尾用意します。
頭をおとし、はらわたをとり、そのまま手でひらきます。
そうすると背開き状態になりますので、
背骨を手でとります。
ざるにならべ、塩をふります。2〜3時間すると、
汁が出てきますので、これを良く切ります。
ボウルにいわしをならべ酢に浸します。
1〜2時間酢に浸したものを食べ良く切り分けます。
梅肉をいわしにあえます。
そのうえに針しょうがをのせます。
酒の肴に、ご飯のおかずにも良くあいます。

いわしの棒すし。

上の酢漬けにしたいわしを
棒状にしたすし飯にのせます。
それをすし巻きでしっかり巻きます。
冷蔵庫で2〜3時間おいて味をなじませます。
食べるときは、室温に戻して下さい。

以上の2品ともいわしは生食用のものをお使い下さい。
多少失敗しても自分で作ったものはおいしいですヨ。
ゼヒ挑戦してみて下さい。
生臭いものが苦手な方は大葉を使ってみると
良いかも知れません。
失敗したら細かく刻んで、味噌であえていわしの
ぬたをつくっても良いですね。

手開きの例です。頭は包丁で切って下さい。

f0107517_21375150.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-10 21:39 | 日々のおかず、料理

クララ・ヌネスについて

1982年クララ・ヌネス(Clra Nunes)はノッソ・サンバというコンジュントとともに
来日しました。仙台には9月に宮城県民会館にてコンサートがあり、それは当時仙台で、
サンバやボサノヴァなどを紹介していたあるBAR(当時は喫茶店)の主人に薦められ
チケットを買ったのでした。当時は僕はかろうじてガル・コスタやベッチ・カルバーリョ
を聴いていただけでした。もちろんインターネットなどはなく、情報はわずかに雑誌と
ラジオのみでしたが、クララに関する情報などはわずかでした。
コンサート当日、僕は仕事が忙しく少し遅れて行きました。
クララのステージは強烈でした。ステージで彼女はなんと裸足だったのです。
これまで聴いた事もないようなうねるような打楽器のリズムのなか、
彼女の歌は強靭でまっすぐに僕の身体にひびいてきました。
僕は座ることも忘れ、そのまま立って聴いていたことを覚えています。
「褐色のサンバ」「ポルテーラ・ナ・アヴェニーダ」は名唱だと思います。
この時、彼女のご主人のパウロ・セザル・ピニェイロさんも来ていたのですが、
この当時は良く存じ上げませんでした。
ノッソ・サンバの面々はとても気さくで、初めてみるスルドやパンデイロの使い方
を親切に教えてもらったりしました。
このコンサートの後、クララがなぜあの衣装だったのか、とか「三つの民族の歌」
とはどういうことかなどの疑問がわき、調べたり人に聞いたりしているうちに
すっかりサンバにハマって行きました。
来日してすぐあとクララは「ナサォン」の入ったアルバムを発表します。
それがラストアルバムになりました。クララは1983年手術中に麻酔の事故で
この世を去りました。享年38才でした。
とにかくクララのコンサートを聴かなければ、こんなにサンバにのめり込むことも
なかったでしょう。
で、このラストアルバムの「ナサォン」がいたく気に入り
ジョアン・ボスコとアルジール・ブランキという名前を知ることになりました。

2003年にブラジルで出たベスト盤です。褐色のサンバ、ポルテーラ・ナ・アヴェニーダを収録。
f0107517_227598.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-07 22:28 | ブラジル音楽

クララ・ヌネスの動画

以前、僕のミュージック・ストーリー(ヒストリー)で書きましたが、
1982年にクララ・ヌネスが来日した際、NHKで特集番組がありました。
(確か松坂慶子が司会でした。)長年探していたのですが、
偶然、Youtubeで見つけました。
あまり画質が良くないですが、紹介しておきます
時期は1982年の夏だったように記憶しています。
曲はカーニバルの朝です。後ろにはノッソ・サンバの姿も見えます。
カーニバルの朝

また、ヴィデオクリップがありましたので、そちらもご覧下さい。
ヴィデオクリップ

短い時間ですが、このなかにレシ・ブランダンやドナ・イボンニ・ララ
などの顔もあります。
また、先日亡くなったシヴーカの演奏も聴けます。(サンフォーナ)

また、ルイス・ゴンザーガとの動画もあります。こちらもメンバー
がすごいです。
ゴンザーガ
テロップで分かりにくいですが、アルタミロ・カリーリョやワルジール・アゼヴェード
、またジョアン・ボスコの顔も見えます。
ゴンザーガもアゼヴェードもすでに亡くなっています。
貴重な動画ですね。曲は「アザ・ブランカ」です。
ではお楽しみ下さい

クララの追悼版です。以前、日本盤が出ていました。

f0107517_9162177.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-07 09:22 | ブラジル音楽

このブラジル通史では、ヴァルガス大統領の時代を述べていますが、
この時代、サンバはブラジルの「顔」としてクローズアップされます。
そこで独立したコラムにしてみました。
1929年に最初のエスコーラ・ヂ・サンバである「デイシャ・ファラール」
が結成され、翌年には「エスタサォン・プリメイラ・ヂ・マンゲイラ」が結成されました。ブラジル政府はここに目をつけます。すなわち、当局が適切と判断した団体名
をつけること、愛国主義的な主題や、労働の大切さを説く歌でカルナヴァルに参加
することを条件に援助します。
グレミオ・レクレアチーヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバという
団体名がついているのが、その名残りです。
日本語訳にすると、サンバ娯楽組合となるでしょうか。よくエスコーラの名前
の前に「G・R・E・S」とありますが、この略称がそうです。
1936年のパレードにはウニードス・ダ・チジュカが「わがブラジルの美しき自然」
というテーマソングで行進しました。今でも、各エスコーラのテーマは、
いたって真面目なものです。
1940年代になると、かつてマランドロ(チンピラ)を賛美したウィルソン・バチスタ
が「市電サンジャヌアリオ号」という曲をつくり、ヒットしました。

働くものこそ正しい
俺は断言する
間違いのないことだ
市電サンジャヌアリオ号は
また一人の労働者を拾った
それは勤めに出る俺のことさ
以下略
ちなみにこの頃の日本は「日中戦争」に突入していました。

ジョビンがマンゲイラの支援のために作ったCDです。そうそうたるメンバーが
参加しています。

f0107517_9583852.jpg



シコ・ブアルキがマンゲイラのために作ったマンゲイラ讃歌。
ジョアン・ノゲイラ他が参加しています。

f0107517_1021231.jpg

[PR]
by caymmi1 | 2007-02-05 10:04 | 歴史

ブラジル音楽中心の雑感