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戦国時代の女性

だだいま、山内一豊の資料を集めています。
当然、妻の「千代」の資料も集めているのですが、
ちょっと苦労をしています。彼女は「見性院」と資料に現れていますが、
本名は「まつ」とも「千代」ともいわれ、定かではありません。
もうひとつ、出自は浅井家の家臣の「若宮家」(司馬遼太郎の功名が辻はこの説)
かあるいは郡上八幡城主の東家系の「遠藤家」といわれています。
現在はこの説が主流のようです。
ところで、そうだとすると実は僕は「遠藤」なのですが、
親戚の話によると「見性院」と同じ先祖なのです。まだ資料的に確実かどうか
確認していないので定かではありませんが。
さて、「見性院」はよく内助の功といわれますが、
江戸期に室鳩巣や新井白石がいいだしたことです。
戦国時代は男尊女卑という概念はあまりなく、
全てとはいいませんが女性でも城主になったり、特に古河公方の足利氏姫は
形式的ながら当主になりました。
また、少ないながらも戦士として活躍した女性もいます。
「見性院」が一豊にへそくりのお金で馬を買うエピソードは有名ですが、
どうもあれはへそくりではなく、遠藤家からの財産分与だったらしいです。
「見性院」は遠藤家を背負ってたつ存在だったのではと僕は考えています。
つまりこの頃の結婚は男女ともどちらかというと契約に近いものだったのでしょう。
いざというときには武家の娘は「旦那」を殺すこともあったようです。
ですから「見性院」にとって山内一豊が出世することは「遠藤家」にとっても
益があることだったのです。
ただし、一豊と「見性院」はとても仲が良かったらしいですね。
側室はおいていませんね。
この話もう少し練らなければいけないので、もう少し時間はかかります。
とりあえず中間報告です。


千代とも、まつともいわれている「見性院」です。
山内一豊の妻というのが一般的です。

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by caymmi1 | 2007-08-04 17:33 | 歴史  

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