ブラジル通史 12 ファベーラの誕生
2006年 11月 28日
ファベーラとはブラジルにおける貧民街のことです。
特にリオのファベーラはサンバの歌詞に良く登場してきます。
先日書きました通り、コーヒーは19世紀始めには、リオが栽培の中心だったのですが、
土地の疲弊などにより、サンパウロ州に栽培の中心が移っていきました。
そして19世紀末ブラジルのコーヒーは世界生産の50%を占める様になりました。
折しもブラジルで奴隷解放が行われ、
いままで奴隷だった人々が働き場所を求め、
当時、発展中だったサンパウロに移住してきました。
ブラジル政府は住宅政策をほとんどしなかったためと、
たとえ不法占拠であっても数年間住み続ければ土地に対する所有権が
認められていたため、ファベーラというスラム街が形成されていったのです。
特に1950年ころのブラジルの工業化がますますファベーラを大きくしていきました。
サンパウロだけでなく、リオやその他の大都市にもファベーラは形成されていきました。そしてリオのカルナヴァルの沢山のサンバチーム(エスコーラ・ヂ・サンバ)はファベーラに本拠をおいています。
Gui tavaresの「Amigos & Friends」のUK盤のジャケット ファベーラの様子が描かれています。
特にリオのファベーラはサンバの歌詞に良く登場してきます。
先日書きました通り、コーヒーは19世紀始めには、リオが栽培の中心だったのですが、
土地の疲弊などにより、サンパウロ州に栽培の中心が移っていきました。
そして19世紀末ブラジルのコーヒーは世界生産の50%を占める様になりました。
折しもブラジルで奴隷解放が行われ、
いままで奴隷だった人々が働き場所を求め、
当時、発展中だったサンパウロに移住してきました。
ブラジル政府は住宅政策をほとんどしなかったためと、
たとえ不法占拠であっても数年間住み続ければ土地に対する所有権が
認められていたため、ファベーラというスラム街が形成されていったのです。
特に1950年ころのブラジルの工業化がますますファベーラを大きくしていきました。
サンパウロだけでなく、リオやその他の大都市にもファベーラは形成されていきました。そしてリオのカルナヴァルの沢山のサンバチーム(エスコーラ・ヂ・サンバ)はファベーラに本拠をおいています。
Gui tavaresの「Amigos & Friends」のUK盤のジャケット ファベーラの様子が描かれています。
by caymmi1 | 2006-11-28 19:36 | 歴史