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ブラジル通史 3 パウ・ブラジルの時代

ポルトガル王マヌエル1世は、ブラジルの資源調査をフィレンツェ人アメリコ・ヴェスプッチに調査させました。結局「あるのは、オウムとパウ・ブラジルの木、そして野蛮人」とういう報告がなされただけでした。国王はブラジルに対し関心を失いましたが、改宗ユダヤ教徒のフェルノン・ジ・ノローニャに開発権を譲渡しました。
さて、当時のヨーロッパでは毛織物産業が盛んになっていました。パウ・ブラジルはそんな時にうってつけの原料だったのです。1506年頃には年間2万キンタル(1キンタルは60㎏)をフランスやフランドル地域に輸出し、大きな富をもたらしました。地名も「サンタ・クルスの島」からパウ・ブラジルまたは単にブラジルと呼ぶようになりました。
ブラジル経済史では1570年代までを「パウ・ブラジルの時代」と呼びます。

※ブラジルの木(PAU BURASIL)ジャケツイバラ科の植物。ヨーロッパでは十字軍時代にその存在が知られていた。学名Caesalpinia echinata。

※改宗ユダヤ教徒(クリスタン・ノヴォ)については後日改めて記事をUPしたいと思います。


パウ・ブラジルの花


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by caymmi1 | 2006-07-14 11:39 | 歴史  

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